
真夏の百物語と、アイスの記憶
1. 総一郎、ナズナの部屋にて
午後三時。
外気温、摂氏38度。
ナズナの部屋は、冷房が効きすぎて少し寒い。
総一郎は床に寝そべり、天井を仰ぎながらため息をつく。
「……ナズナさん、ほんとにやるんですか、これ」
「決まってるでしょ。夏といえば百物語。考察に値する文化的価値がある」
ナズナは真顔で言った。
薄いグレーのTシャツに、髪をまとめて、扇風機の風に当たっている。足元には流しそうめん機が置かれ、まるで祭りの前の静けさのようだった。
「まあ……助手ですからね。付き合いますよ、ええ」
そう言いながら、総一郎はそっとナズナの横顔を見た。彼女は“人”だ。それでも、自分とはまるで違うもののように見える瞬間がある。
2. そうめんと、100本のろうそく
部屋の隅には、通販で購入したLEDキャンドルがずらりと並んでいた。
百物語のために必要な“ろうそく”の代替品らしい。
「言い伝え、怪談、都市伝説、そういうのを順番に語って、一話ごとに光を消していく。最後に“何か”が起きるっていうのが通例」
そう説明するナズナに、総一郎はもはやツッコミも入れない。
そうめんをすする音だけが、クーラーの音に混じって響く。
3. 物語の始まり
一話目:「公園の時計が止まる時間」
二話目:「コンビニの自動ドアが夜中だけ開く理由」
三話目:「橋の下に落ちたはずのランドセル」
ナズナは記録された体験談や、匿名掲示板の話を淡々と語っていく。
どれも“ありえそうで起きなかったこと”ばかり。
総一郎は途中から寝転びながら聞いていた。
「これ、なんか起きるんですか?」
「起きるかもしれないし、起きないかもしれない」
「まあ、なんも起きない方が助かりますけど.....」
ナズナの視線は、少しだけ遠くを見ていた。
4. 七十話を越えたころ
部屋の空気は少しだけ変わっていた。
総一郎が水を飲もうと冷蔵庫を開けた瞬間、音が鳴った。
パキン、と氷が割れる音。
ナズナはちらっと彼を見て、言う。
「今、百物語の“転換点”かも」
総一郎は肩をすくめて、アイスの箱を取り出した。
「じゃあ、これも物語の一部ってことで」
5. 百話目──そして何も起きなかった
百話目は、ナズナの番だった。
「……昔、ある少女がいた.......」
そして最後のキャンドルが消えた。
……だが、何も起きなかった。
部屋は暗くもならず、風も吹かず、どこからも物音ひとつしなかった。
6. コンビニと、アイスの帰り道
ふたりはそのまま夜のコンビニへ出かけた。
外はまだもわっとした熱気。
セミの鳴き声が残っていて、アスファルトがじんわりと熱を返してくる。
ナズナはチョコミントアイス。
総一郎はバニラバー。
「結局、百物語って言っても、ただの遊びだったんですかねー?」
「昔の娯楽は怪談とかしかなかったからね.....」
総一郎はその言葉に、少しだけ頷いた。
ナズナの横顔に、何か言いたいような言葉がのぼってきたが、結局飲み込んだ。
ふたりはゆっくり歩いた。
夜風がほんの少しだけ、涼しかった。
7. あなたに託す
百話目が終わっても、怪異は起きなかった。
でも、確かに“何か”はあった。
冷たいそうめんの味。
静かな部屋で交わした声。
溶けかけたアイスと、夜の匂い。
──それもきっと、物語。
意味なんてなくても、
それを覚えているだけで、
夏が、残っている。