
ひと夏の恋
1. 事件──あの子は、どこから来たのか
ナズナという名前を、僕が知ったのは七月のはじめ。
今年も、田舎に夏が来た。
ミンミンゼミが鳴きはじめるころ、空き家だった隣の家に、白いワンピースの女の子が越してきた。
「あの子、また帰ってきたみたいね」
母はそう言ったけれど、僕には初めて見る顔だった。
毎年、夏になると誰かが帰ってきて、秋になるといなくなる。
そんな村のあたりまえの一部みたいだったけれど、今年の“あの子”は、何かが違って見えた。
2. データ収集──ナズナの観察記録
僕は、小学四年生。
ナズナは、たぶん五年生か六年生。
僕より少し大人っぽくて、声をかける勇気はなかった。
- 朝:犬の散歩をしている。白い犬。
- 昼:図書館の横のベンチにいることがある。手紙のようなものを書いていた。
- 夕方:川のほうに歩いていく姿を見た。影が長くて、少し怖いくらいきれいだった。
毎日、少しずつ彼女の行動をメモしていた。
それはまるで、自由研究。
けれど、これは“自由”じゃなかった。
僕の心は、すでに縛られていた。
3. 推理──これは、なんの気持ち?
僕は考えた。
どうしてあの子のことばかり考えてしまうんだろう?
これは──病気?
それとも、呪い?
ノートに書き出してみた。
【可能性①】気になるだけ → でも気になりすぎる。
【可能性②】好き → 好きって何?
【可能性③】これは恋? → 恋って、どういうこと?
「恋って、何なんだろう……」
夏の夜、花火の音が遠くから聞こえる。
眠れない夜、ナズナの名前を何度も頭の中でつぶやいていた。
4. 仮説──僕の心の正体
八月の終わり。
夏が、終わろうとしていた。
僕は決めた。
ナズナに、話しかける。
最後の日、彼女は白いワンピースで玄関に立っていた。
車がアイドリングしていて、家族が荷物を運び出していた。
僕は、勇気をふりしぼって走った。
足が震えていた。
「……あの!」
ナズナが振り向く。
少し大人びた顔で、でも優しい目をしていた。
「また……来年、来るの?」
ナズナは少しだけ驚いた表情を見せたあと、ほんのわずかに微笑んだ。
ほんの少しだけ、うなずいたように見えた。
車のドアが閉まり、エンジン音が響いた。
彼女の姿が、道の先へ消えていった。
5. あなたに託す──夏が、僕を変えた
あれが恋だったのか、今でもわからない。
でもたぶん、あのときの気持ちは──
「世界でいちばん、きれいな気持ち」だったと思う。
ナズナは、また来年も来るのだろうか。
それとも、もう二度と会えないのだろうか。
風鈴がちりんと鳴って、空に少しだけ秋の匂いが混じっていた。
僕は、来年までこの気持ちを覚えていようと決めた。 なまえ はるき そういちろう