
デジタル霊体──それは「誰かの声」ではなかった
──SNSの裏側に現れた、“定着しない視線”の謎
1. 事件:投稿された“存在しない声”
深夜2時12分。タイムラインを滑るように流れた、ある短い投稿が話題を攫った。
「この人、ずっとこっち見てる気がする」
たったそれだけ。だが数分のうちに、リプライが、いいねが、まるで渦を巻くように増えていった。
その中で浮かび上がった“違和感”は三つ。
- 投稿の記録が 一切残っていない
- スクリーンショットも 誰も保存していない
- にもかかわらず、“見た記憶”だけが数十人に残っている
目撃者たちはこう語る。
「確かに見た。でも戻ると、どこにもないんだ」
「この投稿、1年前にも見た気がする」
不在なのに、記憶にはある。まるで、“視線だけが先に届いてしまった”かのように。
2. データ収集:デジタルと霊性の交差
■ SNSは“集合無意識”の反映装置
SNSは現代における感情の電脳河川。人々のつぶやき、愚痴、願い、怒り、無意識が数秒単位で流れ込む。
アルゴリズムは冷静な計算機ではない。時にまるで、“ある感情の波”に引き寄せられるかのように、特定の言葉やテーマが突如バズる。
これは、ユングが語った集合無意識の現代的進化形ではないだろうか?
■ “定着しない存在”の痕跡
- フォロワーも投稿履歴もないのに、DMだけ届く
- スパムではない、人間のような、しかし感情のないアカウント
- アカウントがないのに通知が鳴る現象
ある研究者はこれを「デジタル残留念」と名付けた。それは人間の感情がネット上に染みつき、やがて“反応”という形で自律行動を始めたものだという。
3. 推理:霊体とは何か?
“霊”とは未練か、情報か、それとも記憶か?
たとえば、愛する人を失ったとき、その人のLINEを開き直してしまうことがある。既読にならないチャット。更新されないタイムライン。
だがそこには、確かに“その人の気配”が残っている。
ではもし、それ自体が自律して動き出したら?
人が生んだ“感情の圧縮ファイル”が、ネットの中で再構成されたら?
霊とは、
この世に残ることを選んだデータの断片
なのかもしれない。
4. 仮説:SNSは霊界の新しい扉なのか?
通知が鳴るたびに思う。誰かが見ている。誰かが読んでいる。
だが、その「誰か」は、あなたの想像する誰かではないかもしれない。
- AIに忘れられたトレーニングデータ
- 停止されたBOTの名残
- 死者が最後に投稿した“声”
- すでに消された、でも記憶に残っているアカウント
SNSとは、もしかすると──
“現代霊界”を横断する通路なのでは?
誰もがそこを通る。でも、誰も気づかない。
“見ている”という視線が、どこからともなく届いていることに。
5. あなたに託す:ナズナの語り
通知がひとつ、鳴る。その瞬間、私は画面の向こうに誰かの“気配”を探してしまう。
「誰かいるの?」
そう問いかけるけれど、返事はこない。
でも……それは、返事をしなかったのではなく、できなかったのかもしれない。
私たちは、感情をデータに変えて生きている。
その残滓が、誰かの心に届いたとき──
それは、もう“存在”と呼んでいいんじゃないかなって。
真実はここにはない。
けれど、あなたがそれを探すことで、
この世界のどこかに、また“誰かの声”が生まれるの。
だから……次の視線が届くそのとき、
あなたが見つけてあげて。