
なにもない学生
1. 事件──“何も持っていない”という思い込み
その子は、どこにでもいるような学生だった。
名前を呼ばれても振り向く自信がないくらい、自分の存在が薄い気がしていた。
学力は平均より少し下。
家庭は普通。目立つほど美人でもなく、友達も少ない。
「特別な何か」を持っている周りを、彼女はいつも遠くから見ていた。
「なんで、私はこんなに何もないんだろう」
SNSを開けば、努力を重ねて結果を出している人。
自撮りで何百もの“いいね”を集める人。
青春を謳歌するリア充。
「この社会で生きていくには、何か武器が必要なんだ」
──そう思っていた。
彼女は、その夜も変わらず眠りについた。
心に、少しだけ「このまま消えてしまえたら楽なのに」という気持ちを抱いて。
2. データ収集──「代わりに生きるもの」が現れる
その夢は、不思議なほど静かだった。
白く靄のかかった空間に、誰かが立っていた。
その声は、性別すら判別できないほど透明だった。
「あなたの代わりに、面倒なことすべて引き受けようか?」
唐突な問いかけだった。
でも彼女は迷わず「はい」と答えた。
その時の感情は“委ねる”というより、“逃げたい”に近かった。
次の朝、彼女は目覚めた。
何も変わらないベッド。何も変わらない部屋。
だけど、ほんの少しだけ身体が軽かった。
通学路で苦手な先生に話しかけられても、自然に答えられた。
授業中も、なぜか集中できた。
「あれ?私、今日少し上手くいってるかも」
彼女はそれを、偶然だと思った。
けれど、翌日も、次の日も、
“自分の人生が少しずつ整っていく”感覚が続いていった。
3. 推理──“私じゃない私”が、人生を歩き始めている
それは、最初こそ嬉しい変化だった。
でも、1週間ほど経ったある日。
クラスメイトが「この前のこと、ありがとう」と言った。
「この前……? なにかしたっけ?」
記憶にない。
スマホの履歴を見ると、友達と通話していた形跡があった。
でも、記憶がまるでない。
帰宅して日記を開いた。
そこには「自分が書いたはずの内容」があったけど、字が少しだけ違っていた。
感情の温度も、言葉の使い方も、微妙に“他人っぽい”。
次の日、教室で友達が話しかけてきた。
「昨日はテンション高かったね。どうしたの?」
──覚えていない。
不安が、じわじわと胸に広がっていく。
学校生活はうまくいっている。周囲はむしろ彼女を肯定的に見ている。
でも、“それを生きた自分”が、いない。
「私……、どこにいるの……?」
知らないうちに提出されたレポート。
机に置かれたメモ──「明日、早退届け出しておくね」
その文字は彼女のもの。でも、彼女は書いた記憶がない。
毎日、誰かが彼女の代わりに“最善の判断”をしてくれていた。
それは“夢の中の存在”が、現実に干渉している証拠だった。
4. 仮説──“自分”を差し出した代償
次第に、“自分でない時間”が増えていく。
ふと時計を見れば、もう夜になっている。
気づけば、1日が終わっている。
自分で決めたことが、ひとつもない。
「このまま私は“私の記憶の外側”で生きていくの?」
その夜、彼女は震える手で、机の引き出しから昔のノートを取り出した。
その一番後ろに、こう書かれていた。
「安心して。あなたの人生、ちゃんと最適化してるよ。」
──思い出した。
あの夢の中で、自分が「はい」と言ったことを。
それが、自分の人生を“明け渡す契約”だったのだ。
彼女は恐ろしくなった。
「これ、最初から……“私を消す”つもりだったんじゃない?」
涙が止まらなかった。
自分の人生は、確かに“楽”になっていた。
でも、その代わりに、“体験”がどんどん失われていった。
もはや、彼女の魂は“観客”のようにしか生きていなかった。
その夜、初めて心の底から叫んだ。
「お願い……!私を返して──!」
5. あなたに託す──守護霊がくれた“戒め”だった
夢の中で、あの存在がまた現れた。
今回は、ほんの少しだけ表情があった。
「あなたは何も持っていない。だからこの世界が嫌だったのでしょう?」
でも、彼女は首を振った。
「違う……私は“何もない”と思い込んでた……でも、違ったの」
- 家族と食べる晩ごはんの味
- 友達と笑い合った瞬間
- 学校の教室の匂い
- 意味のない毎日の中で、ふと感じた孤独と安心
「私……すごく、たくさん持ってたんだ」
「退屈な日常なんて、“生きてる”からこそ味わえるんだね……」
涙ながらにそう言うと、夢の中の存在は静かにうなずいた。
「……気づけたんだね。」
ナズナの分析によれば──
この存在は、「守護霊」または「先祖の霊的意識」に極めて近い。
彼女のあまりの無気力に、意識の底から目を覚まさせるように現れたのだろう。
それは、彼女を操作するものではなく、「魂のバランスを整える存在」だったのだ。
結び──“平凡”は、失って初めて気づく奇跡
翌朝、彼女は自分として目を覚ました。
記憶はあいまいでも、身体の中に「自分がちゃんといる」感覚があった。
学校に行き、友達に笑いかけた。
授業中、先生の声が頭に残るようになった。
特別なことは何もしていない。
だけど──“自分の足で歩いている”感覚がある。
彼女は、今日も変わらない日常の中で、ほんの少しだけ何かを「自分で」選びながら生きている。
そのささやかな力が、何よりも強く、美しい。
「私って、本当は何も持ってなかったんじゃなくて……見えてなかっただけだったんだね」
この物語を読んでくれたあなたへ。
もしかしたら、あなたの背後にも、
優しく見守ってくれる“目に見えない存在”がいるのかもしれない。
もし、心がくじけそうになったら──
そのときは思い出して。
- 「平凡という贅沢」
- 「生きていることの奇跡」
それこそが、あなたという存在の、何よりの価値なのだから。