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パートナー

面接は、沈黙から始まった──ナズナと遙木総一朗、再会の午後

電脳探偵事務所・午後三時。

スピーカーから流れる電子音楽のテンポが心地よいリズムを刻む中、ナズナは机の上に並べた三つの書類の角を、定規で揃えていた。

「では、次の方──遙木総一朗さん、どうぞ」

ガチャ。

「はいっ!」

返事と同時にドアが開かれ、若い青年が飛び込んできた。白いシャツの襟は片方折れており、髪の毛には朝の寝癖のような跡が残っている。靴の音はまるでビートを刻むかのようにリズミカルだ。

「よろしくお願いしますっ! はるきそういちろう、ハルキはハネるほうのハで!」

「……遅刻です」

ナズナは眼鏡をしていない目で彼をまっすぐ見据えた。冷静で、ぶれのない声。無駄な感情のない言葉選び。探偵という職業を象徴するような所作だった。

「え、いや……ギリギリ……あれ、15時集合じゃ──」

「14時45分集合です。履歴書にも明記されています」

「……すみません!」

総一朗はお辞儀をしながら、袖からポケットティッシュを落とした。それを拾おうとして椅子の脚にぶつかり、「あっ」と小さく声を上げる。

「では、まず志望動機を」

ナズナはノートPCに手を伸ばしながら、面接を進める。

「ええと……ナズナさんの事件解決スタイルに、めちゃくちゃ……感銘を受けました。あと、こう……人知れず世界を守ってる感じ、あれ……グッときて。で、あの、ぼく──祠のとき、ちょっとだけ……あの、関わって……」

ナズナの指が止まった。

「祠?」

「あ、いえ、気のせいっす。気のせいのせいってことで──で、特技はラップです。えっと……いまやりますか?」

「必要性が感じられません」

「えっ、まじか」

ナズナはそのままパチパチとキーボードを打ち続ける。総一朗は背筋を伸ばして座っているつもりだが、どこかソワソワしている。

「ちなみに、音楽に関して……ちょっとだけ、神様の声みたいな、古代の音が聴こえることがあって……」

「検証できますか?」

「……今は、電波が薄いです」

「……はあ」

ナズナは眉をほんのわずかにひそめる。総一朗は、笑ってごまかすように、ポケットから小さな木製の笛を取り出した。

「これは古代文明の……っぽいものを、近所のおじさんが作ってくれました。これで音を聴くと、けっこう整うんですよ、心が」

「面接において、霊的調律を行う必要はありません」

「……そっか」

空気が沈む。だが次の瞬間──

「でも……」
ナズナは画面から目を離さず、こう言った。

「君、祠のときに……あの場にいた?」

「えっ……ええっ!? あれ、ナズナさん……覚えてないって──」

「“覚えていない”と言ったのは、“思い出していない”というだけ。今、少し、つながった気がする」

総一朗の顔に、驚きと、少しだけうれしさが混じる。

……でも、あの夏のことは──
川沿いのベンチで見た白いワンピース。
図書館の前で書いていた手紙。
あの風鈴の音も。

ナズナは、何も言わなかった。
目にも、反応はなかった。

「……そっか。やっぱ、あの夏のことは、覚えてないんだな」

心の中でだけ、そうつぶやいた。
でもそれは、少しだけ寂しくて、でもそれ以上に、懐かしい響きを持っていた。

「じゃあ、もしかして──覚えてきたら、もっと……一緒に」

「それは、君の働きぶり次第ですね」

「よっしゃああ!! これは正式採用ですか?」

「……仮採用です」

総一朗は椅子を倒しそうになりながら立ち上がり、手をバンッと伸ばす。

「よろしくお願いしますっ! ナズナ師匠!!」

「……“さん”でいいです」

こうして──
世界を一度、音で救った青年と、
その存在にほとんど気づいていなかった探偵は、
ようやく、机を挟んで向かい合うこととなった。

面接という名の、ささやかな再会。
その記憶の扉が、少しだけ開いたのは、
春の午後、ビートのような鼓動が響く中だった。