
琥珀の女王と神の多面体
1|手紙
誰の言語でもなかった。
ある夜、ナズナの元に一通の手紙が届いた。切手も消印もなく、宛名すら記されていない。中には、金属のような光沢を持つ紙と、そこに並んだ見たこともない文字列。
「解析不能」
AIも、ナズナ自身の言語モデルも、その構造を読めなかった。けれど、そのとき──空間が歪んだ。
ガラスが砕けるような音もなく、世界が反転した。次の瞬間、ナズナは“そこ”にいた。
2|神の部屋
そこは宇宙だった。だが同時に、建築物でもあった。
天井も床も壁も存在しない、ガラスで形作られた巨大な球体のような空間。空には星雲のような光が漂い、幾何学的な文様が重力に逆らって踊っていた。
そして、そこにいた。人の形をした者たちが、何体か。
彼らは衣をまとい、玉座に座し、どこか王族めいた雰囲気をまとっていた。だが、その気配は確実に“人間ではない”。
そのうちの一体が、ナズナに向かって言葉を発した。
「ぬし、かの地より来たりし者よ」
その声音は、空間そのものから響くようだった。
「我らが遊戯に参じよ。されど、負ければ“主の属する星”ごと、敗北とみなす」
「……地球も、負け扱いになるってこと?」
ナズナは静かに訊いた。神は笑ったような声を出すと、頷いた。
「そのとおり。ぬしが勝てば、帰す。儂らも干渉せぬ。だが、敗れれば……」
ナズナは、ほんのわずかにだけ、目線を下げた。まるで、恐怖を装うように。
「……わかったわ。やる」
3|ゲーム
そのとき、空間の中心に現れた。一辺約30cmの不規則な多面体。それは、球体のようであり、キューブのようでもあった。
その各面には、さらに細かいカラーブロックが配置されていた。赤、青、黄、白、緑──原色に近いそれらの色彩が、恐ろしい速度で回転している。まるで意志を持っているかのように。
「条件は単純」
神の声が重なる。
「ぬしは、触れることなく、面体の数、各面のブロック数、存在する色の種類と数値割当、それら全体の合計を知れ」
「その上で、儂が指定する“色”を引いた残りの合計値を答えてみせよ」
「指定する色は……“緑”」
空間が静まる。その瞬間、ナズナはゆっくりと、目を閉じた。
4|仕掛け
予測通り。
彼女は、この“ゲーム”が始まるずっと前から、それが来ると予感していた。
誰かが自分を見ている。監視されている──そう“思い込んだフリ”をした。
それは、逆だった。ナズナは、むしろ“観察者の側”だったのだ。
彼女は、仕掛けていた。
──観察されていると気づいた瞬間、自分の行動を設計し始めた。歯を磨く回数、本を閉じるタイミング、椅子に座る角度。そのすべてを“偶然”に見せかけながら、暗示として投げた。
「私は無防備です」「気づいていません」「とてもじゃないけど、このレベルの思考は無理です」
そう神に思わせるために。
──“観察者”に、暗示をかけていた。
そして彼女は、神の反応を見る前に、賭けるに値する期待値を予測した。
5|構造
ナズナは、あの立体のサイズを何度も“練習”していた。カラーブロックの大きさ。面の分割。それらを身体感覚に染み込ませるよう、生活動作に組み込んでいた。
彼女の中では、すでにその立体は構築されていた。面数は n。暗示から返されるゲームであれば立体の大きさは推測できる。各面の辺の長さも推測できる。さらに暗示をかける225。 30cmの辺×2の面ならこの暗示に反応して各カラーブロックは約2cmになるはず。
「緑」を暗示、もし神がそれを指定してくるなら、その面を追えば勝算はある
6|答え
ナズナは目を開けた。そして、口を開いた。
「正答は──三七〇六」
空間が、止まった。
多面体の回転が止まり、すべての神が彼女を見た。
「ぬし……なぜ、それを……?」
「この空間には、情報がない。面数も、色の配分も、どこにも表示されておらぬ……オヌシは真に星のモノか?」
ナズナは、微笑んだ。
「あなたたちは、私を見ていた」
「けれど、見ていたのは“私が見せていた私”だった」
「あなたたちが“見ている”と気づいたとき、私は先に“あなたたちに見せたい私”を設計した」
「……つまり、これはあなたたちが始めたゲームではなく」
「私が、あなたたちを導いたゲームだったのよ」
7|琥珀の女王
神々の間に、沈黙。
そして、笑い。
「ふむ、ふむふむ……面白い!」
「まさか我らを欺くとは……」
「褒美を与えよう」
神が手を掲げると、立体が浮かび、ナズナの手元に収まった。それは静止し、無色のガラスのような輝きを放っていた。
「また興じよう──琥珀の女王よ」
最後にそう言って、空間が崩れる。
8|帰還
ナズナは、自室に戻っていた。
手元には、透明な多面体が残っている。内部には、一つだけ、緑色のブロックが浮かんでいた。
9|ナズナの語り
あれは、知性の戦いではなかった。
誰が“先に仕掛けたか”のゲームだった。
私たちは、問われてから答えるのではない。
答える者として存在しているから、問いが届くの。
だから私は、先に答えを持っていた。たったそれだけの話──