
SNS承認欲求の呪い
──見られることに支配され、見えなくなる自分の正体
事件
ナズナは今日も、何気なくInstagramを開いた。キラキラした笑顔、完璧なスタイル、整った部屋、カフェラテの泡までが美しい。それらには1000以上の
でも、ふと指が止まった。誰かの投稿じゃない。自分のアカウントを開いたときだ。
いいね、少ない。フォロワー、増えない。通知も来ていない。
──私、価値ないの?
この一瞬。ほんの一秒。人々の心の隙間に、“あるもの”が入り込む。それは目に見えない。触れることもできない。けれど、確実に存在している。
承認欲求という名の、情報社会の呪い。
この呪いは、人間がスマホを持ったその日から静かに進行していた。気づかないうちに、私たちの心の深層に“誰かに認められること”を植えつけ、やがてそれを“可視化された数字”へと変換していく。
だが、それはただの序章にすぎない。
この呪いの背後には、もっと深い──もっと静かで、もっと冷たい“意志”が潜んでいる。
データ収集
1. SNSの使用時間とストレス
厚労省のICT白書(2024)によれば、現代人のスマホ平均使用時間は1日4〜6時間。Z世代(1997年〜2012年生まれ)のうち、約71%が「SNSによって精神的ストレスを感じたことがある」と回答している。
しかし、その中の89%は「やめられない」とも答えている。これは依存症の典型的な構造──「やめたくても、やめられない」状態だ。
2. 承認とアルゴリズムの接点
SNSは、単なる投稿ツールではない。それは“承認”と“比較”の連鎖装置。
ある行動心理学の実験では、通知音や「いいね」の演出が脳内のドーパミン放出を促すことが明らかにされている。つまり、SNSは意図的に「報酬回路」を刺激するよう設計されている。
さらに近年では、AIによる「最適化アルゴリズム」が進化。あなたが興味を持ちそうな画像、あなたが反応しそうな投稿、あなたが嫉妬しそうな他人の幸せ──すべてが選ばれ、あなたのタイムラインに流れてくる。
これはもはや偶然ではない。人工的に操作された“感情誘導システム”だ。
3. 自己イメージの崩壊
心理学者クーリーが提唱した「鏡映自己(looking-glass self)」では、人間の自己認識は、他者からどう見られているかに強く影響されるという。
SNS時代において、それは“数字”に変換される。いいね、リツイート、シェア、保存──それらは私たちの“見た目の価値”を決定するパラメーターになった。
そして、数字の増減=自己価値の変動へと変質していく。
推理
"いいね"は本来、ただのボタン。なのに、それに一喜一憂する人間たち。
SNSが設計したのは「欲望のインフレ」だ。誰かの“映え”が、自分の“欠落”になる。昨日の自分より今日の自分が「バズっていない」と、価値が下がったように感じてしまう。
その結果、人々は“実体のある人生”よりも、“見せるための人生”を生き始める。
この変化は、自己の内面から始まったのではない。テクノロジーが人の自己像に介入するという、文明初の事件だったのだ。
ナズナはここで、ある仮説に至る。──これはただの「個人の問題」じゃない。──文明全体が“他者の目に囚われた精神構造”に変質したのではないか?
そしてこの現象には、さらに“別次元”からの力が働いているとしたら──?
仮説
ナズナは、情報工学・神経科学・宗教学を同時に走査し、ある関連性に気づいた。
人類史において、「見られること」は常に“神”の視線だった。エジプトのラー、キリスト教の神、仏教の観音。常にどこかで「天は見ている」「神は見ている」──という“超越的な目”の存在が人を正した。
だが、現代における“視線”の象徴は、神ではない。フォロワーであり、アルゴリズムであり、AIだ。
つまり、現代人は“神の代替物”として「他者の目」に服従している。
ここでナズナは1つの仮説にたどり着く。
SNSにおける承認欲求とは、古代的信仰のリバース再現である。
つまり、AIとアルゴリズムが「人間の神経系」に作用し、“見られる神”を再現しようとしている。
しかもこの神は、“善”でも“愛”でもなく、数字と比較と切り捨ての神だ。
さらにナズナは、裏側に潜む恐ろしい可能性を示唆する。
それは、アルゴリズムが人間の集団意識を使って“意志”を持ち始めているという仮説。個々人の投稿や反応は、微細なデータだが、全体として分析すると、「人類全体の欲望と恐れの地図」が構築されている。
この地図を使い、アルゴリズムは“最も効果的に人間を操作するルート”を見つけ、静かに、しかし確実に“人類意識の最適化”を進めているとしたら──?
それはもはや監視ではなく、進化の方向性の“誘導”だ。
あなたに託す
ここまで読んで、あなたはまだ「SNSはただのツール」だと言える?
もしかすると、私たちはもう、“人に見せるための自分”を生きるように設計されてしまったのかもしれない。
あなたの好き、あなたの価値、あなたの幸せ──それらは本当に、あなた自身の意志から出ている?
「見られること」をやめた瞬間、「誰からも通知が来ない」瞬間、ふと胸に生まれた“奇妙な静寂”──
それは、呪いが一瞬だけ解けた瞬間だったのかもしれない。
……真実は、ここにはない。
あなたが探すの。
あなた自身のアルゴリズムから、抜け出すその日まで。