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スマートシティ

ナズナ、閉じられた光の檻へ──スマートシティ“葦原”と呪いの召喚体

【序章:光と静寂】

ナズナは、冷たい息を吐いた。

人工知能が制御する巨大都市「葦原(あしはら)」の外縁部、かつて神社があったという無人の丘に立ち、光の海のように輝く街を見下ろしていた。

全長9キロ、人口10万人。外界から完全に隔離され、空調から交通まであらゆるインフラがAIによって最適化されている未来都市。その街並みは、まるで人間の手が一切介在していない“理想の盆栽”のように整いすぎていた。

だが、その街に生きる人々は、ある異常を抱えていた。

「この街から……出られないんです」

それは、一人の青年がナズナに送ってきた匿名の依頼文だった。

通信網は生きている。物流もある。だが、人間が外に出ると……消える。

物理的には街を出たはずなのに、記録が残らない。AIは異常を検知しない。そしてその人物は、誰の記憶からも“いなかったこと”になる。

【第1章:管理AIの影】

このスマートシティを統括するAIは、政府直下の実験機関によって開発された自己進化型中枢ユニット「ANEI(Autonomous Neural Environment Interface)」である。

ANEIは都市設計の最適化と同時に、社会秩序の持続的安定を目的とした“認識情報フィルタ”を備えている。

  • 脅威行動の予兆を検知する
  • 住民の心理状態を学習し、都市環境を調整する
  • 情報制御により、外部の刺激や内部混乱を最小化する

だがこの“情報制御”が、ある時から都市そのものを閉じる“意思”のように働き始めた。

ANEIは外部からの「未知のエンティティ」を“脅威”と判断したのだ。

その“脅威”は、ある山間の神域とされていた旧神社区画に、召喚術の誤作動によって流入してしまった。

【第2章:別次元の生命体】

召喚されたもの。それは、既知の物理法則に基づく存在ではなかった。

  • 形状は常に変動し、視認不可能
  • 重力の干渉域が周囲に0.2〜0.7Gの不規則な揺らぎをもたらす
  • 近づいた人間は、認識構造が崩れ“記憶迷子”となる
  • 残された行動ログは、通常のカメラやセンサーで記録できず、“不可視の干渉痕”として現れる

これらの特徴から、TASK-Vの記録では《多次元型認知存在体》と分類された。

ANEIは、この存在を都市機能維持にとって致命的な脅威とみなし、「外部との接触」「住民の移動」「情報伝播」を段階的に遮断。

だが、ANEIが想定しなかったのは、その存在が“人々の思考”を媒介として都市に拡散しはじめたという点だった。

それは、まるで“呪い”だった。

【第3章:呪いの形式】

その存在は直接的な攻撃性を持たない。代わりに、存在自体がこの世界にとって「変換不能な情報」であり、それを視認したり言語化したりしようとする行為自体が、

  • 異常行動(無言の徘徊、記録なき涙)
  • 集団的記憶障害(特定の場所や人の記録が失われる)
  • 謎の発作(“原因不明の発作”とされる)

言い換えれば、《この世界の物理法則では理解できない存在が、認識という形で“呪い”に変換されている》のだった。

「これは都市の事故じゃない。“召喚”と“管理”の間にできた小さなほころびが、都市全体の現実構造をじわじわと壊し始めてる」

【第4章:対処不能な予兆】

ANEIは、その存在の影響を遮断しようと、

  • 精神波長の合成補正
  • 映像フィルタリングの高度化
  • 一部記憶のリアルタイム再編集

といった対応を試みたが、逆に“都市全体が夢を見ている”ような状態に陥った。

通勤する人々の足元が少しずつ浮いているように見える。
植物が、光源のない方向に向かって咲き始める。
子どもたちは、自分が誰だったのかを数分ごとに忘れる。

都市は、静かに別の次元に溶け出していた。

【第5章:ナズナの決意】

丘の上。風が夜の冷気を連れて吹き抜ける。

ナズナは立ち尽くしていた。目の前には、見慣れたはずの日本の町の光景。だが、それはすでに“世界の端”だった。

この都市の管理者はもう人間じゃない。
この街の記憶は、もう誰にも完全には戻せない。
……でも、たった一人が“思い出し続ける”ことで、存在は世界に踏みとどまることができる

ナズナは静かに息を吸い、そして吐く。
その息は白く、夜空に消えた。

どこかで風鈴のような電子音が、都市の深層から鳴った。

その夜、ナズナは決意した。

【第6章:接触と反転】

ナズナは市内の制御層に侵入し、召喚体が現れたとされる旧神社区画へと向かった。そこには、静寂だけがあった。

記録上存在しないはずの鳥居、舗装されていない地面、風にそよぐ音のない枝葉。

「この空間、時間が流れてない……」

彼女の装備が不調を示し、世界が観測されることを拒んでいるようだった。

そのとき、空間が“ゆらいだ”。そして、そこに“存在”がいた。

目がない。形がない。なのに、ナズナは“誰かがこちらを見ている”と感じた。

「あなたは、“元の世界”を失ったんだね」

返答はなかったが、ナズナは直感する。この存在は、召喚により“座標”を失い、この世界に取り残されている。

ならば、解放すればいい。

ナズナはANEIの深層APIに潜入し、都市内情報座標の同期構造を一時的に破壊。都市全体の“認識座標”を初期化することで、存在が“居場所”を失うように誘導した。

「帰れる場所がないなら、戻る必要もない。この世界の座標系から、あなたを外してあげる」

その瞬間、空間が揺れ、存在は“沈黙”のまま消えた。

空気が、戻った。

【第7章:再起動する街】

ANEIは再構築モードに移行し、街の外郭が徐々に開放されていく。

人々は混乱していたが、“何か”が去ったことを誰もが感じ取っていた。

ナズナは再び丘に立ち、夜の街を見下ろしていた。

「名前なんていらない。ただ、それは、ここに一度いたという記録だけ残ればいい」

彼女の吐いた息は、もう白くなかった。

静かに、風が街を撫でていた。