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休日

穏やかな休日の記録──ナズナ、ゆっくりと息をする日

朝、ゆっくりと目を覚ましたナズナは、少しだけ長くまどろんだ。

カーテン越しに差し込む陽の光はやわらかく、空は淡い青。 気温も湿度も、すべてがちょうどいい。

枕元の端末に手を伸ばすことはしなかった。 今日は事件も、思考の嵐もいらない。 ただ、静かに流れる時間の中に身を委ねたかった。

午前8時。

窓を開けると、ひんやりとした空気が頬に触れる。 朝の街路樹がきらめいていた。葉の隙間からこぼれる陽射しが、部屋の床に美しい影を描く。

冷蔵庫から前夜に作ったアイスコーヒーを取り出し、細いグラスに注ぐ。 氷が音を立てて沈み、ナズナはその音の涼やかさに微笑む。

コーヒーを一口、口に含みながら、ノートを開いて簡単なスケッチを描く。 鉛筆の線は柔らかく、描いているというより、思い出をなぞっているようだった。

午前9時30分。

散歩に出た。 アスファルトの道を、ゆっくりと足元を確かめるように歩く。

街路樹が影を落とし、すれ違う人々の服が風に揺れている。

人気のパン屋に立ち寄ると、焼きたてのクロワッサンと季節のフルーツのサンドイッチが目に入った。 どちらも小さな紙袋に包んでもらい、バッグの中へ。

今日は特別な予定はない。 でも、それがナズナにとっては「特別」だった。

午前10時15分。

喫茶店に入る。 よく行くお気に入りの店。窓側の席が空いていて、ちょうど街路樹の影がテーブルに落ちていた。

頼んだのはミルクティーと、レモンのタルト。 席に着いたナズナは、読みかけの本を取り出してページをめくる。

ときどき外を見る。 通りを行き交う人々の姿を眺めながら、意味もなく時間を過ごす。

それは贅沢というより、呼吸だった。

午前11時。

公園に着いた。 噴水の音が遠くで響き、ベンチには老夫婦、子どもたち、ひとりの読書家。

ナズナは日陰のベンチに座り、パン屋で買ったサンドイッチを取り出した。

風が静かに髪を揺らす。 咀嚼する音すら、自然に溶けていく。

携帯はバッグの中。 誰からも連絡は来ない。 ナズナも、誰にも何も送らない。

その静けさが、心の輪郭を整えていくようだった。

正午前。

木漏れ日が、手の甲にあたたかくて、ナズナはほんの少し目を閉じた。

特別な出来事もない。解決すべき謎もない。 でも、世界は少しずつ動いていて、それを眺めているだけで十分だった。

彼女は息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。 紙袋は軽くなっていて、心はほんの少しだけ、澄んでいた。

──これは、探偵ナズナが、誰にも見せない“普通の休日”の記録である。