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カガメルリ

花芽 瑠璃との再会

✦ プロローグ|名前の温度

その依頼文は、驚くほど短かった。

「調査内容:特になし。
目的:あなたに会いたい」

本来なら、破棄するような内容だった。
だが、ナズナはページの末尾に添えられた差出人の名に、しばし視線を落としたまま動けなくなった。

花芽 瑠璃(カガメ ルリ)

春のような音の並び。過去に置き忘れたはずの、静かな祈りのような少女の名前。

「……受けるわ。今回は、特別にね」

依頼としてではなく、“想い”として。それが、彼女の選択だった。

✦ 第一章|変わった姿、変わらない眼差し

京都北端、霞がかる山の中腹に佇む数寄屋造りの屋敷。そこが、花芽邸だった。

季節は春、山桜が散りきった後の静寂。
風はまだ冷たく、苔むした石畳を歩く足音だけが響いていた。

辺りの屋敷と比べ段違いに豪華で巨大なその屋敷は、瑠璃の祖父が建てたもので彼女の家系は日本有数の財閥で世界的製薬企業ウエノバイオケミカルの創設にも関わっているのだとか

迎えに出たのは、少女ではなかった。

──そこには、美しい“女性”がいた。

「……ナズナちゃん。来てくれて、ほんとうにうれしい」

瑠璃。あのときの淡い影が、今は光を纏っていた。
黒髪はゆるく巻かれ、瞳にはうっすらと化粧のきらめき。
着ているワンピースは高級そうで、それでもどこか“無理をしていない”自然さがあった。

ナズナは一瞬、声を失った。

「……ずいぶん、雰囲気が変わったのね」

瑠璃は、ふふ、と微笑む。

「いろいろあったの。ほんとうに、いろいろ。……でも、今でもナズナちゃんのこと、ふと思い出すの。」

茶室のような応接間。硝子戸の向こうに揺れる庭の緑。心が洗われるような空間だった。

そこに、思いがけない人物がいた。

「……おや。え??姉ちゃんが来るとは、人生は意外だぜ はは」

九条 凛。かつて大富豪の専属として任務を共にした探偵。その声に、ナズナは微かに口角を上げる。

「今は花芽家に?」

「いやぁ……正直な話、あの爺さんよりも、こんな美人のお嬢さんの専属の方が、やる気が出るのさ」

その言葉に、耐性の無い瑠璃は顔を赤らめながらも笑った。

「九条さん、ほんとに調子いいんだから」

✦ 第二章|好き、好き、好きでいっぱい

午後の日差しが、庭を金色に染める。
ナズナが出された茶を一口飲んだとき、瑠璃はぽつりと言った。

「……ねぇ、あのときの手紙。私、ずっと持ってたの」

ナズナは目を伏せる。

「そう……気づいてたのね」

「うん。誰にも言ってなかったけど、あれがなかったら……きっと、私、もっと酷い人間になってた」

瑠璃は両手で湯呑みを包み、まっすぐにナズナを見た。

「だからね。会いたかった。ナズナちゃんに、ちゃんと“ありがとう”って言いたかったの。あのとき救ってくれて、嬉しかった。好き……好き、大好き、ってずっと言いたかったの」

ナズナは何か好意の中に少し妙なモノを感じ驚いたような顔をした。
だが否定しない。ただ、少し頬を染めて視線を逸らす。

瑠璃は立ち上がり、ナズナの隣へと座った。
手を伸ばせば届く距離。けれど、触れない距離。

「ねぇ、ナズナちゃん。今はもう、あなたに“ありがとうって言える、触れられる自分”になったと思うの.......」

触れられる?......ん...

「だから、勇気を振り絞ってナズナちゃんに連絡したの。答えてくれて本当によかった」

瑠璃は心底嬉しそうな顔をナズナに近づけ、瞳の奥をキラキラと無類の宝石の様に光らせ見つめてきた。それはこの世界に逆らえる異性などいないような美しさだった。」

✦ 第三章|反響する関係

それから数時間、二人は何でもない話をした。
過去のこと、今のこと、未来のこと。

瑠璃は何度も「好き」と言った。
ナズナは何度も「ありがとう」と返した。

まるで音が壁に反響するように、感情が互いに帰ってきて、また投げかけられる。

「ねぇ、ナズナちゃん。私たち、友達になろうよ」

友達という自分には今までほとんど縁が無いワードに戸惑ったが、彼女なら良いと直感がそう言う」

「ええ、あなたが望むなら」

瑠璃は嬉しくて爆発しそうな程に顔を赤らめこう言った。

「それ以上でも、私は……いいけど?」

上目遣いでありながらも、こっちを横目で見るような器用な事をしながら発する瑠璃の声は少し震えていた。

ナズナは、答えなかった。
けれど──ナズナの手は、逃がさないと言わんばかりに机の下でそっと握られていた。

終章|春の余熱と、誰にも言えない気持ち

帰り際、夕暮れの光が花芽邸の障子越しに差し込んでいた。
昼の柔らかな日差しとは違い、どこか火照ったような赤が、畳と襖に影を落とす。

玄関へと続く廊下を、二人は並んで歩いた。
もう何も言わなくても、互いの歩幅は自然と合っていた。

庭の池では、風に揺れた水面が光を跳ね返し、まるで小さな星屑のようだった。

玄関に着くと、ナズナが履物に手をかけた瞬間──
瑠璃が、そっと声をかけた。

「……今日はね、帰ってほしくなかったくらい、楽しかったの」

ナズナは少しだけ目を伏せたあと、すぐに顔を上げた。

「私も。……あなたと話せてよかった。変わったのに、変わってなかった。そんな瑠璃に会えて、本当に……よかったわ」

瑠璃は、言葉を選びながらも、どこか迷いながら続けた。

「……じゃあ、また連絡してもいい? 私、まだまだ話したいことあるし……
それに、友達として……ううん、それ以上の何かとして、私は……」

その言葉の終わりを、彼女自身が飲み込んだ。
けれど、それははっきりとナズナに届いていた。

ナズナは、ドアの向こうに目を向けながら、ただ一言だけ返した。

「ええ、待ってるわ」

扉を開けると、春の終わりの風が吹き込んできた。
どこか懐かしい匂い。けれど、少しだけ未来の香りが混じっていた。

一歩、玄関を出たとき──
背後で「ナズナちゃん!」という声がした。

振り向くと、瑠璃が少しだけ身を乗り出していた。
その頬は赤く、目はまっすぐだった。

「今日、ナズナちゃんに会えて……私、ほんとに生き返った気分なの! ……ありがと!」

ナズナは微笑んだ。それは、ほんの僅かに、過去の少女に見せたものと同じ笑みだった。

「じゃあ、またね」

その言葉を残して、ナズナは石畳を歩き出した。
背を向けたまま、しばらくのあいだ──
後ろからの視線が、いつまでも心に触れていた。

それはまるで、
“誰かに強く願われる”ことの、あたたかい重み。

彼女の心の奥に、何かが確かに芽吹いていた。
まだ名前もない、その感情の種子が──

春の終わりとともに、静かに息をしていた。