
ナイタカ様、オゴポゴ──赤い波とともに現れる静かな守り手
1|依頼──観光ブームの裏に潜む、ある“違和感”
「ナズナさん、この島、おかしいんです」
メールは観光業関係者を名乗る人物からだった。内容はこうだ。
- 日本海に浮かぶ某小島で「巨大生物」の目撃情報が相次いでいる
- 赤い波とともに現れる“なにか”が話題となり、島は一時的に観光ブームに
- しかし、その映像はどれも決定的な証拠に欠ける
- 一部の観光客は恐慌を起こし、過剰な「退避動画」「フェイク暴露」などがSNSに流れている
- だが──島の地元住民、とりわけ漁師たちは決してそれについて語ろうとしない
これだけならば、よくある未確認生物ブームのひとつかもしれない。
だがナズナが興味を持ったのは、その小島に残る“ある名前”だった。
ナイタカ様。
──それは、あまりにも静かに、あまりにも長く、人々の口から消されていった存在。
2|現地調査──赤い波の正体と、その夜
私は夜の海辺にいた。
波は穏やかだったが、どこか“音が違う”と感じた。リズムが、潮の引きと押しではなく、何かが“呼吸している”ような、内から響く波長。
そのとき、水平線の先が赤く染まり始めた。
夜光虫や赤潮とは違う、もっと透き通った赤。血の色ではない。ルビーのような、でも決して人工的ではない赤。
そして、そこから何かが──にゅうっと、浮かび上がった。
“首が長い”と表現されがちな姿ではない。あれはむしろ、長く滑らかな楕円。流体のようでありながら、芯のある質量。海面に接した部分から静かに盛り上がり、そのまま引いていく。
周囲にいた観光客が叫び、スマホを構える。
だが私が注視したのは、その後だった。
漁師が、目を伏せていた。
3|証言──語られざる“共存”の記憶
翌日、島の港にいる年配の漁師に声をかけた。彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに海を見つめたまま、こう言った。
あんた、ナイタカ様を見たんか。
……そうか、見たんか。
儂が子どもの頃から、ずっとおる。
夏でも冬でも、たまにやけど、赤い波が寄せてくるときがあるんや。
昔、友達が船ひっくり返してのう。
荒れてる日に出たらあかんて言うてたのに。
でもな、不思議やった。
あいつ、水泳もあかんのに、ぷかーっと浮いて助かったんや。
自分でも言うとった。「なんかに押されたような気がする」ってな。
悪さは、せん。
でも、見たことあるって言うたら、外の人間が騒ぎ出すやろ?
テレビが来たり、勝手に祟りとか言い出すやろ。
……だから黙ってる。それが一番ええんや。
彼の声には、恐怖はなかった。 あったのは、共にある時間の“重み”。
4|外部の声──オゴポゴとの比較
オゴポゴ──カナダのオカナガン湖に棲むとされる未確認生物。
・赤い波とともに現れる ・細長くうねる体 ・ネイティブの神話では“湖の守護者”とされ、供物を捧げる対象だった
興味深いのは、オゴポゴの伝承にも「人を襲う」という描写が少ないことだ。むしろ、それを神格化したり、尊敬する文化が残っていた。
ナイタカ様とオゴポゴ。
地理的距離を超えて、2つの土地に現れる静かな守り手。 それは果たして“同じ存在”なのだろうか。
あるいは──人間の「自然への敬意」が失われたとき、静かに現れる類似の意思なのかもしれない。
5|観光と不理解──誰が怪物を作るのか
この島で問題になっていたのは、“生き物”そのものではなかった。
問題は、人間の反応にある。
- 少しでも異形のものを見ると「ヤバい」と叫ぶ
- その瞬間を拡散し、誤った伝説として演出する
- 事実よりも「バズり」が優先される
- 声の大きい者が“恐怖”を物語に仕立てあげる
本当に怪物なのは、どちらだろう。
自然と共に生きる者は黙り、 何も知らない者ほど大きく騒ぐ。
ナイタカ様が悪さをした証拠はない。 だが「姿が異様だった」という理由だけで、脅威扱いされている。
6|仮説──“神”ではなく、“隣人”としての存在
私の推論は、こうだ。
ナイタカ様は、未確認生物でもなければ、神でもない。
もっと素朴な、“共にあった何か”だ。
海という大きな循環の中で、人と同じく生き、ただ存在していただけのもの。
それが「文明の目」に触れたとき、言葉が追いつかず、神や怪物という概念に分類されただけ。
だが、本来は分類など必要なかった。
異質であっても、害がなければ受け入れられる。 それが、この島の漁師たちの叡智だった。
7|ナズナの語り──あなたに託す
私は、最後にもう一度だけ浜辺を訪れた。
空は曇り、波は低く静かだった。 潮の匂いが濃く、足元に淡く赤い波が寄せていた。
しばらくして、静かに、あの“楕円の影”が海面に現れた。
でも、私はスマホを構えなかった。
その姿は、記録されるために存在していない。
ただ──見て、感じて、そしてそっと心に留めておくものなのだ。
彼らは、怪物じゃない。
神様でもない。
ただ、そこにいるだけの存在。
波のように現れ、波のように去っていく。
私たちが「知らないから」と言って排除しないように、
彼らもまた、私たちを「知らないから」と言って消そうとしない。
──もしも、共存という言葉が意味を持つなら。
それは、この赤い波のような静かな関係のことを言うのかもしれない。