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海

海に選ばれる町──電脳探偵ナズナ

1|依頼──「ワタシの街、変なんです」

ワタシの街、変なんです。助けてください。

差出人は、海辺のとある町に住む女子中学生。名前は記されていなかった。

添付されたのは、夜の海の写真だった。

月明かりを反射した水面が、まるで宝石のようにきらめいている。 その中央──海と空のあいだに、人影のようなものが浮かんでいた。

ナズナは、即座に調査を開始した。

2|訪問──すべてが“整いすぎた町”

その町に降り立ったとき、ナズナは少しだけ戸惑った。

空気は澄み、海は透きとおり、人も親切だった。

コンビニの店員でさえ、「おかえりなさい」と言った。

道行く人は誰もが優しく、迷えば案内してくれる。

……すべてが、あまりにも整いすぎていた。

そして、港の近くのベンチで私は、その子に会った。

彼女は、制服のまま海を見ていた。

髪は光に透けるように柔らかく、顔立ちは美しかった。けれど、どこか“不安定”な印象を受けた。

「……わたし、選ばれそうなんです」 「この町、昔ね、“海に愛された者”を祭ってたらしくて……」 「最近、それをまたやろうとしてるみたいなんです」 「町内会で、名前が挙がってたって、聞いて……」

急いであれこれ話す彼女の声は震えていた。

“海に愛された者”──毎年、ひとりだけ。

その者は、誰よりも輝き、町の誇りとなる。

しかし一年後、誰にも知られず、海に“返される”。

3|釣られた魚の“予言”

町の西側にある防波堤で、ナズナは一人、釣り竿を垂らしていた。

この町では、「海辺で釣りをすると、何かがわかる」と言われているらしい。

半信半疑だったが、やってみる価値はある。

針にかかったのは、小ぶりなアジだった。 新鮮でこの場で調理して食べたらきっと美味しい。(こんな時でも食いしん坊)内臓を丁寧に取り出すナズナ──その瞬間。

そこに、何か“紙”のようなものが挟まっていた。

極小サイズの半透明なフィルム。そこには、こう記されていた。

「ナズナは関係ない。かえれ。」

……ナズナは、静かに目を細めた。

紙片は濡れていたが、確かに“意志”を持っていた。

文字は手書きではなかった。筆跡すら存在しない、誰の手とも言えない文字。

それは、まるで──この“町そのもの”が書いたかのようだった。

4|海に愛された者

少女と再び会ったのは、港近くの神社だった。

彼女は、社の前で祈るふりをして立ち尽くしていた。

「ナズナさん……わたし、もう逃げられない気がします」 「わたし、町の人にすごく褒められるようになったんです。最近」 「見た目がきれいになったとか、運がいいとか──」 「でもそれ、全部……“海に選ばれた兆候”らしくて」

ナズナは静かに頷いた。

その異常な好待遇──本人も気づかないうちに“何か”に押し上げられていく感覚。

それは、かつて別の町でも起きた“生け贄の優遇”とよく似ていた。

「誰も、悪意を持ってやってないんです。 みんな、親切で。 みんな、“わたしが選ばれるのが当然”って思ってるだけで……」

──それが、一番怖い。

5|沈黙する町

ナズナは町を歩いた。神社、漁協、老人会の集会所。何人かと話した。

だが、誰も何も“知らない”。

いや──“知らないふり”をしている。

問いを重ねるたびに、話題を変えられ、笑顔が増え、距離が開く。

この町は、全員が“祈っている”。

それが儀式だと知っていながら、誰も明言しない。

まるで、全員が役を演じる“劇”の中にいるようだった。

6|夜の祠、そして紙片

夜、少女からメッセージが届いた。

「町内会の人たち、今日の夜に“準備”を始めるみたいです」 「海のそばの小さな祠に、何かを隠してるって」

ナズナは、その場所に向かった。

祠の中には、濡れた木箱がひとつ。

その中には、何十枚もの小さな“紙片”が保存されていた。

それはすべて、過去に釣られた魚の内臓から出てきたものだった。

記されていたのは、未来の断片、誰かの罪、あるいは名前。

「あの子はもう戻らない」 「祭は終わらない」 「新しい器は整った」

──器。 つまり、誰かが“入れ替わる”のだ。

少女の美しさ、幸運、人気。すべては“器”として整えられてきた。

7|対峙──海との交信

夜の防波堤に、ナズナはひとり立っていた。

風は微かに生ぬるく、潮の香りはいつもよりも重たかった。

満月が雲間から姿を現し、波打ち際を銀色に染めていた。

ナズナは、アタッシュケースから装置を取り出した。IOT式の位相センサー。 特定の低周波を拾い、可視化し、コンタクトを取りづらい相手などで必要であれば逆共鳴を発信する。

それを、東西南北の四隅と、自分の足元──五箇所に静かに設置する。

海が、揺れた。

いや、正確には“空気”が変わった。

センサーが反応する。ナズナの耳では聴こえない帯域で、何かが震えていた。

それは、言葉ではなかった。

けれど──ナズナは、聴き取れた。

「海は、ずっと見ていた」
「人が祈るたび、応えていた」
「けれど、人は気づかない」
「ならば、“器”を求める」
「わたしは、憧れている」
「人のように、誰かを想ってみたい」

声ではなかった。だが確かに“感情”が乗っていた。

そしてその感情は、何かを求めていた──痛切なほどに。

そのとき、背後から足音がした。

振り返ると、そこに町長がいた。

礼服のまま、手に傘も差さず、無言でこちらを見ていた。

「……ここまで来るとは、思っていなかった」

低く、乾いた声だった。

ナズナは静かに訊いた。

「あなたは、知っていたんですね。 “毎年誰かが選ばれて、海に返される”。 それがどういう意味かも。」

町長はうなずいた。

「“返される”という表現は、我々の伝承にある。 それが何を意味するかは、代々、町の一部の者だけが受け継いでいた」

ナズナは、深く息をついた。

「それを止めようとは思わなかった?」

町長の目が、少しだけ揺れた。

「……この町は、ずっと守られてきた。 災害もなく、病気も少なく、貧困もない。 “誰かひとりの幸福”より、“町全体の平穏”を選んだ。それだけだ」

静かに怒りがわきあがった。

「それは“町の都合”じゃないんですか」

町長は答えなかった。

そこへ、少女の声が響いた。

「ナズナさん……」

彼女は手紙を持っていた。封筒の表には町内会の印。

その中には、短い文が一行だけ──

「祭は決定されました。おめでとうございます」

まるで進学通知のような、狂った文面だった。

ナズナは震える少女の手から手紙を取り、もう一度海を見た。

そして、言った。

「やめて。 その子の中に入ることでしか、“想う”を知れないなんておかしいよ!」

風が止まった。

波が引き、月が翳った。

空の色が、わずかに変わった。

センサーが警告音を発する。海中からの周波数が急激に上昇していた。

ナズナは共鳴装置の中心に立ち、右手を海に向けて伸ばした。

──“意志の振動”に対し、逆の位相を重ねる。

海が唸った。

水面から立ち上るように、銀色の靄が発生する。

その中に、“少女の姿を模した”なにかが一瞬浮かび上がった。

「……わたしは、まちになりたいだけ」 「まちが見ている世界を、同じように見たいだけ」

ナズナは、目を閉じた。

「違う。 それは“なりたい”じゃない。 奪いたい、でしょう」

風が爆発するように吹き抜けた。

海が跳ね、雲が裂け、星が揺れた。

空全体がひとつの生き物のようにうねり、山の稜線がわずかに震える。

海面が、淡く青白い光を帯びながら盛り上がった。

波が逆巻き、潮が壁のように立ち上がり、その中心に──人のかたちをした“何か”がもう一度現れた。

少女の輪郭をしていた。

けれど、どこか歪んでいた。顔は笑っていたが、瞳は濁り、口元は悲しげだった。

「……まちに、なりたかった」
「でも違う……この町は、彼女を“いけにえ”にしようとしていた」
「“いけにえ”にして、自分たちのみ幸福を続けようとしていた」
「そう……わたしに、彼女を差し出すことで、あなたたちは自分を保とうとした」
「わたしは──そんな醜いものにはなりたくない」

声が、波音とともに空間を満たしていく。

海は、少女ではなく、**この町の形**になろうとしていた。 それが“人間を知ること”だと、信じていた。

けれど、ナズナの言葉が、それを止めた。

街の美しさの裏には誰かを平然と犠牲にする汚さがあった

海は、それに気づいてしまった。

光が砕けた。

大きく跳ねた波が、空に舞い上がり、 星を弾き、雲を割り、 その“意志”は、どこか遠くへと飛び去っていった。

誰も傷つけず、誰も取り込まず。

ただ、すべてを失望し、すべてを知って、去っていった。

共鳴装置が悲鳴のような音を立てて、海へと転げ落ちた。

だが、もう何も起こらなかった。

空気が、静かに元に戻っていく。

波が寄せては返し、月が再び海面を照らす。

その場には、ナズナと、少女と、町長だけが立っていた。

誰も言葉を発しなかった。

けれど、ナズナは一歩、町長に近づき、まっすぐに言った。

「選ばれたのは、彼女じゃなかった。 “あなたたち”だったんです」

町長は何も答えず、ただ、背を向けて去っていった。

8|あなたに託す──ナズナの語り

後日、ナズナはあの町を再び訪れた。

空は晴れていた。海は相変わらず美しく、町の人々は穏やかだった。

ただひとつ──前の様な整いすぎた感じは無く、普通の街になった気がする

少女は元気に暮らしている。

転校し、名前を変えたらしい

ナズナは、港で再び釣り糸を垂らした。

釣れた魚は、ただの魚だった。 内臓の中にも、紙片はなかった。

でも──風が、ひとつだけ言葉のように響いた。

「ありがとう。 もう、わたしは人を真似しない」

海がすべてを知り、そしてやめた。 そう信じるのは、ナズナの勝手かもしれない。

けれど、ナズナは祈る。

誰かを想うことが、誰かを傷つけるものではなく、 ただ、誰かを想うままでありますように。

電脳探偵ナズナより。