
「山奥、ドライブ、そしてわたしのチカラ」
朝、少しだけ霧が残る坂道で、ナズナはふたりを待っていた。
──依頼は、ウズメからだった。
「自分の力を、ちゃんとコントロールできるようになりたいんです」
その言葉は、まっすぐで、少し震えていた。
けれどその芯にあるものは、確かに“決意”だった。
ナズナはすぐに答えなかった。
力を持つということは、傷つける可能性を抱えることでもある。
でも彼女のように、それを“正しく扱いたい”と願う者には、たしかに可能性がある。
だからナズナは、もう一つの依頼──「山に奇妙な巨人が現れる」という報告とあわせて、
ウズメを見極めようと考えた。
そして、今日。
ウズメ、ナズナ、そしてもう一人──総一郎が、3人が初めて揃った。
「おはようございます、ナズナさん。えっと……今日も、よろしくお願いします」
そう言って、少し寝癖のついた茶髪の青年が、軽く頭を下げた。
ハンドルを握るその手は、見た目以上に慎重で、どこか緊張していた。
「わ、わたしも……その……ウズメです。今日、初めて……その……行きます」
小さくぺこりと頭を下げる少女。髪を結ぶリボンが風に揺れた。
「……よろしくね。私はナズナ。案内役みたいなもの」
ナズナはそれだけ言って、助手席に静かに座った。
後部座席で小さく身を縮めるウズメの姿がミラーに映る。
彼女はきっと、今も不安でいっぱいなのだろう。
けれど──その目だけは、とても強い意志があった。
「……それじゃ、出発します」
エンジンがかかる音。ゆっくりと、車が動き始める。
最初のカーブで、ウズメがぐらりと揺れた。
次の坂で、ナズナは無言でシートベルトを締め直す。
「……総一郎。ちょっと、運転荒くない?」
「し、失礼しました!あの、これでも練習したんですけど……っ」
山道に入って数分で、全員が無言になった。
車内に満ちていく、妙な一体感。
──こうして、三人の最初の旅は幕を開けた。
車が目的地へ向けて走り出してから、しばらく。
後部座席で静かにしていたウズメが、不意に小さく声をもらした。
「……あれ、お姉さん……一回……どこかで……」
ナズナは、ルームミラー越しに彼女の目を見た。
迷いと、確信の間にあるような、そんなまなざし。
「うん。たしかに会ってるよ」
ナズナは少しだけ、目元で笑った。
「私はナズナ。
“電脳探偵”って、ちょっと変な名前で呼ばれてる」
「……えっ、えぇ!? じゃあ、今回の……依頼先って……」
「そう。君が連絡してきた“ナズナ”っていうのは、私のこと」
ウズメは目をまん丸にして、前の席を見つめた。
恥ずかしさと驚きとが混ざったような表情で、言葉が出てこない。
「びっくりした?」
「う……うん、ちょっとだけ……」
「でも、ちゃんと届いてたよ。君の言葉」
ナズナの声は、静かで、どこかあたたかかった。
ウズメはその声に、ほんの少しだけ緊張をほどいて──
小さく、うなずいた。
車がゆっくりと山道へ入っていくにつれて、外の景色は次第に都会の輪郭を失っていった。
木々が窓を流れていく。鳥の声。揺れる陽光。
それなのに、車内だけは──静かだった。
「……あの、おふたりは、ずっと一緒に、行動してるんですか?」
ウズメがぽつりと口を開いたのは、最初の休憩所を越えた頃だった。
ナズナは少し振り返る。
彼女の目は、窓の外ではなく、こちらをじっと見ていた。
「そうでもないよ。私は基本、ひとり。必要なときに、こうして協力してもらってるだけ」
「はい……そう、なんですね……」
ウズメはほんの少しだけ、安心したような表情をした。
「ウズメちゃんは、力を使えるようになりたいといってたけど……それは、どうして?」
運転席から、穏やかな声がかかった。総一郎だった。
彼の言葉には、責める響きがまるでなかった。
ただ、まっすぐに“理由”を知りたいという気持ちだけが宿っていた。
「……うまく言えないんですけど」
ウズメは少し間を置いて、続けた。
「生まれつき、変な力があって……それでいろいろ困ってて。でも、自分でちゃんと……扱えたら、って」
「たとえば?」
「怒ったときとか、悲しい時とかに物が勝手に壊れちゃったりするんです」
その言葉に、ナズナは目を伏せた。
彼女は、他人に認められたいわけじゃない。
ただ、他人と“同じ地面”に立てるようになりたがっている。
──それは、能力という“特別”を持つ者の、ごく自然な悲しみだった。
「うまく言えないけど……このままじゃ、何か壊しちゃいそうな気がして。自分の事も」
「……それは、立派な動機だね」
総一郎が、静かに答える。
「わたし……弱いけど……でも、変わりたいって思ってるのは、本当なんです」
ウズメの声は小さいが、はっきりとしていた。
ナズナは鞄の中から小さなケースを取り出した。
白銀の金属板。その中央に、脳波増幅用の“超能力チップ”が埋め込まれている。
「……このチップ、君に合うか試してみる。適合すれば、力は増幅されるけど、そのぶん精神への負荷も強くなる」
ウズメは一瞬躊躇ったが、そっと頷いた。
「わかりました。……お願いします」
ナズナは彼女の決意の輪郭を、そっと目に焼きつけた。
──この子は、ただ力を使いたいんじゃない。
“壊さないように使いたい”と思ってる。
それができる子なら、きっと“器”としての可能性はある。
「……もうすぐです」
総一郎がカーナビを見て言った瞬間──車体がぐらりと大きく揺れた。
「う……っ」
「ちょ、ちょっと待って……吐きそう……」
ウズメとナズナは、ほぼ同時に呻いた。
「す、すみませんっ!道が思ったより悪くて……っ!」
「総一郎……次、助手席代わって」
「はい、喜んで……ッ」
木漏れ日の中、くねった山道の先に──
ようやく目的地の看板が見えてきた。
──ここからが、本当の始まりだ。
道が狭くなり、舗装もまばらになった頃──車はようやく停まった。
そこは、森に囲まれた開けた場所。
看板には、かすれた文字で「旧調整試験場」とだけ書かれている。
正式名称はすでに剥がれ、跡地であることだけが辛うじて伝わってきた。
「……ここ、なんだか空気が違う」
ウズメが、リュックを抱えたまま小さく言った。
「磁場が不安定な地域。けれどちょうどいい。人も来ないし」
ナズナは周囲をANEI(AI)のデバイスでスキャンしながら答える。
この施設は、かつて超感覚的訓練のために用いられていた。
だが、その目的は曖昧で、データの大半も“自主廃棄”されている。
つまり、存在そのものが“なかったこと”にされている場所。
「ここで、私が訓練を……?」
ウズメが、不安そうに地面を見つめた。
「無理にとは言わない。けど、君が本当に“力を扱いたい”なら……一歩、踏み出すには今だと思う」
私は、チップを手渡した。
「それを耳に装着して、深呼吸して。最初は、波を感じるところから」
ウズメは震える手で、それを受け取った。
一度深く息を吐き、ぎゅっと目を閉じる。
総一郎は少し離れたところで、無言で立っていた。
彼はすべてを口にしないけれど、ウズメの行動を静かに見守っていた。
「チップ、つけました……」
ウズメの声が、わずかに低く響いた瞬間、空気が変わった。
草が揺れる。
小石が、じりじりと音を立てて移動する。
「ちょ、ちょっと待って……っ、なんか、熱い……っ」
ウズメの身体から、かすかな光が滲み始める。
「落ち着いて、呼吸を整えて。君が中心、周りのエネルギーを感じ取って」
私は即座に距離をとりながら指示を出す。
だが──彼女の周囲の空間が歪んだ。
光の粒が空中に浮かび、空気が振動をはじめる。
音もなく、木々の葉が逆巻き、地面の砂利が浮き上がる。
「わ、わたし……やっぱり、ダメ……!止まらない……っ!!」
ウズメの叫びと同時に、空間が弾けた。
爆風のような“衝撃”が外側に向かって押し出され、ナズナはギリギリで防御態勢をとった。
総一郎は間一髪、木の陰に飛び込んでいた。
「ナズナさん、彼女は!?」
「まだ暴走というほどじゃない。でも、“核”が揺れてる」
「核……?」
「力の源。意志の中心。精神の不安定さが直接、出力に影響してる」
私は静かに近づいた。
チップが、微かに赤く光っている。
──これは、拒絶反応じゃない。むしろ、“過剰な共鳴”だ。
「ウズメ。聞こえる?」
「……ごめんなさい……全部、怖くて……」
「怖がっていい。君が“怖いままでも動こうとした”ことが、すでに一歩だよ」
ナズナは、そっと彼女の手に触れた。
ウズメの体から放たれていた波動が、徐々に落ち着いていく。
光が収束し、風が静まった。
空の色さえ、どこか元に戻ったように感じた。
「ふたりとも、怪我はないですか?」
総一郎が駆け寄ってくる。
「……大丈夫。ただ、少し……感情が、溢れてしまって」
ウズメは少し俯きながら、涙を拭った。
「最初はみんなそう。ここから、少しずつ整えていこう」
ナズナは静かに微笑んだ。
風が、ふたたびざわめいた。
森の奥で、“何か”が蠢く気配がした。
「……来る」
ナズナはそう呟いた
波形が、不自然なリズムで跳ねている。生物反応……ではない。それなのに、“いる”。
「なんだろ……足音、が……」
ウズメが口を押さえたまま、小さく震える。
そして、それは姿を現した。
木々の合間に、巨大な“影”が浮かび上がる。
明確な形を持たないそれは、あえて言えば“人の形”をしていた。
だが、腕は異様に長く、顔の部分には目も口もなかった。
「……トロール、って……これ?」
総一郎が静かに、でも明らかに怯えながら後退した。
「これは“私たちが知っている生物”じゃない」
ナズナはそう言いながら、装備の起動準備を整えた。
が、その前に──ウズメが、一歩、前に出た。
「……わたし、行きます」
「ウズメちゃん……」
「これ、たぶん……わたしの中にもある。こわいって気持ちが、これを呼んじゃったんだと思う」
「待って、無理しなくて──」
「いいんです。今だけは……逃げたくない。それに.....思念を伝えればわかってくれる相手の気がするんです」
彼女は、チップにもう一度集中した。
ふたたび、空気が震える。
でも、さっきとは違った。
力が荒れ狂うのではなく、中心から静かに“広がって”いく感覚。
トロールの影が、ゆっくりと近づいてくる。
そのたびに、周囲の空間が圧縮されていく。
草も、光も、音も、すべてが凍るように沈黙する。
ウズメは、両手を胸の前で重ねて、目を閉じた。
「こわくて、当たり前。
うまくいかないのも、当たり前。
でも、それでも……わたしは、わたしの力を嫌いになりたくない」
──次の瞬間。
まるで風鈴が鳴るような、高く透明な音が空間に響いた。
ウズメの身体のまわりに、淡く光る“円環”が現れた。
それは小さく波紋を広げながら、トロールの影に触れていく。
影の動きが止まった。
目も、声もないはずなのに──確かに、そこに“理解”のようなものが走った気がした。
トロールの影が、すぅっと、霧のようにほどけていく。
まるで、許されたかのように。
風が戻る。
木々がざわめく。
そして──静寂が訪れた。
「や……ったの?」
総一郎の声が、震えながら届いた。
私は小さく頷く。
「ええ。……やつが、“受け入れた”みたい」
ウズメはその場にへたり込んでいた。
でも、顔を上げた彼女の瞳には、さっきまでなかった強さが宿っていた。
「……できた、かな」
「すごいよ。こんな事はあり得ない。大半の人はスプーンが軽く曲がるくらいだよ。ちょっと恐ろしくらい ふふ」 ナズナはいたずらっぽく笑う
帰りの車内は、行きとは違う空気に包まれていた。
ウズメは後部座席で、眠るでもなく外をぼんやり眺めている。
彼女の表情には、安堵と、ほんの少しの自信があった。
総一郎はハンドルを握りながら、ちらちらとミラー越しに彼女を見る。
「ウズメちゃん、今日は本当にお疲れさま」
「……はい」
「次、もしまた一緒に行動する機会があれば、もっと快適な運転を心がけるよ」
「うん……それ、お願いしたいです……」
ウズメは嬉しそうに笑いながら言う
少しの間。
ナズナは、助手席で静かに目を閉じて笑った。
「……総一郎」
「はい」
「ありがとう。あなたが居てくれて、助かった」
「えっ、い、いえ、そんな……自分は、何も……っ」
ナズナは総一郎を見つめほほ笑んだ
総一郎の耳が、ほんの少し赤くなっていた。
──このドライブは、たった一日の出来事だった。
けれど、きっと三人にとって、それぞれの“始まり”だったのだと思う。
山道を抜けて、夕日が差し込む街へ。
車はゆっくりと、日常へ戻っていった。