
交響曲第百一番─ストーカーより愛を込めて
私は、ストーカーだ。
そう名乗れば、たいていの人間は顔をしかめる。
思い描くのは、自己中心的で、傲慢で、支配欲に満ちた“気持ちの悪い奴”だろう。
だが──それは、私ではない。
私にはルールがある。
対象には、決して気づかれてはならない。
対象を、決して傷つけてはならない。
そして、対象を“手に入れたい”などと思ってはならない。
そう、それは崇高な儀式。
観察という名の交響曲。
私はただ、あなたの“現実”を、クラシックの旋律と共に味わっているだけだ。
ラフマニノフが流れる夜の坂道。
その背中は、静かに、灯りの中に消えていった。
私はただ、歩調を合わせていた──
すべての音楽に、指揮者がいるように。
第1楽章:静かなる鑑賞者
観察には品格がいる。
私は泥にまみれるような視線を持たない。
対象の生活の隅々までを、光の粒のように吸い込む。
カフェで読む本。電車でのうたた寝。
自販機で迷うコインの指先。
そのすべてが、愛おしい“演奏”だ。
私は、彼らの世界に立ち入らない。
私の存在は、ゼロだ。
けれど、彼らがそこに“在る”という奇跡を、
私は目の奥に焼き付けていく。
第2楽章:百人目の変奏
百人を超えた。
年齢も性別も選ばない。
ただ“旋律の美しさ”が、私の選定基準。
運命のように出会い、数週間、あるいは数ヶ月。
音楽が変調するタイミングで、私はフェードアウトする。
過去を振り返らない。
記録も残さない。
すべては“その瞬間の美”のために。
だが、たった一人、
忘れられない対象がいた。
第3楽章:彼女の中の楽章
ある春の日だった。
白いコートに包まれた小柄な女性。
本屋の文庫コーナーに立っていた。
私は、音もなく“選ばれた”ことを悟った。
ブラームスが耳を満たす中、
彼女は一冊の詩集を手に取り、微かに笑った。
私はその微笑みに、初めて“鼓動のゆらぎ”を感じた。
いけない。
これは私のルールにない感情だ。
それでも、私は彼女を数週間、慎重に観察した。
完璧な距離を保ち、完璧な視角を維持しながら。
──その時までは。
第4楽章:侵入者のモチーフ
異物が現れた。
男だ。
粗野な視線、追尾の足取り。
“俗なストーカー”だった。
私は即座に察知した。
対象が戸惑い、警戒し、
笑わなくなったことが何よりの証拠だった。
このままでは、あの旋律が崩れる。
──私が、動いた。
第5楽章:罠と審判
男は駅で彼女を追い、カメラで盗撮をしていた。
私は、偶然を装って接近し、スマホのデータにアクセスした。
違法な追跡アプリ。
盗撮写真の山。
彼の“罪”は録音と共に記録された。
私はそれを匿名で警察に提出した。
別人のふりをして彼に警告を与え、心理的に崩した。
そして彼は、静かに社会から消えた。
私は、彼女から離れた。
もはや私の手の届かない“舞台”だから。
だが一つ、誓った。
私はただの鑑賞者ではない。
時に、監督であり、守護者である。
コーダ:美しき不在として
私は変態かもしれない。
だが、“触れない愛”は存在する。
私はそれを信じる。
誰かを“見る”という行為が、
必ずしも“所有”や“歪み”に繋がるとは限らない。
私はこれからも、音楽を聴きながら歩くだろう。
誰にも気づかれず、誰も傷つけず。
けれどもし、また誰かが旋律を乱すなら──
私は再び、指揮棒を取る。
あなたに託す(ナズナの語り)
この依頼は、奇妙なものでした。
対象者は誰も被害に遭っていない。
通報も、証言も、傷も、ない。
なのに、街には“守られていた誰か”の記憶だけが、静かに残っていた。
私はその記録を調べた。
通勤時間の裏に紛れた、同じ人物の影。
不審者ではない。
だが“確実にすべてを把握している者”。
彼は──変態か、芸術家か。
それとも、自分の世界を一人で指揮する、孤独な神だったのか。
この事件、あなたに託す。
電脳探偵ナズナ