
■ 1. 事件──“記録されなかった人物”の存在
ある日、世界各地の大学図書館にある旧い蔵書の背表紙に、不可解な共通点が発見された。ラテン語、サンスクリット、旧ポーランド語……言語も発行年代もばらばらの書籍に、微細な刻印で同じ紋章が記されていたのだ。
円と三角形と、目のような幾何学図形。その下にわずかに浮かび上がる、ひとつの文字列:
「Varelius」
著者名ではない。どの記録にも、それは“ただ現れている”だけだった。
しかも──記されている中身は、どう考えても時代にそぐわない。18世紀の書物に現代的な概念が突然現れ、16世紀の論文に21世紀の数式が隠されていた。
それらを集めた研究者たちは、一つの“人物”の痕跡を浮かび上がらせた。
ヴァレリウス伯爵。
歴史に記録されなかったが、明らかに“存在した”としか思えない天才。彼にはこういう噂がある──
- 「ひとつの肉体に20の完全な人格を宿していた」
- 「そのすべてが異なる分野の天才だった」
- 「そして、彼は“この世界ではない何か”と交わっていた」
■ 2. データ収集──人格は道具として“使われていた”
現代心理学では、DID(解離性同一性障害)は幼少期のトラウマなどによって形成されるとされている。だが、ヴァレリウス伯爵の記録に見られる“人格”たちは、どれもあまりに整然としていた。
人格1は、ある数学体系にしか興味を持たない。
人格2は、沈黙しながらも絵画を描き続ける。
人格3は、儀式のような手つきで金属を溶かす。
人格4は、目覚めると音もなく書物を燃やす。
──誰が命令したわけでもなく、ただひとつの目的のために動く。
それはまるで、人ではなく“別の存在”のためのインターフェースのようだった。
「彼の人格たちは、自分のことを“自分”だと思っていなかった。
まるで、何か“外”から接続されて、使われているだけのようだった」
そして奇妙なのは──人格が現れるたびに、周囲の空気や物理法則にさえ、微細な“違和”が発生していたという報告だ。
- 時計が逆行した。
- 鏡の中に映るはずのない人影が見えた。
- 言語が意味を失った。
それは科学でも宗教でもなく、ただ“何か説明できないことが起こる”という現象だった。
■ 3. 推理──世界の外からきた「観察者」
ある言語学者は、ヴァレリウスが書いた不可解なメモの中に、既知のどの言語体系にも当てはまらない構文を発見した。意味を持たないはずのそれは、なぜか脳に“理解の痕跡”を残す。
「それは言葉ではなく、構造だった。私たちの認識枠組みに割り込んでくる形そのもの」
仮に、人格が“個人の心”ではなく、外部からの視点装置だとしたら?
人格というより、異質な知性が“観察するため”の仮面。
一人の肉体の中に、20の“視点”を装備して、この世界を“観測”していた。
そしてこの仮説に行き着く。
「ヴァレリウス伯爵は、何かを観察していた。
この世界そのものか、あるいは──この世界の“限界”を」
人格名 | 専門領域 | 備考 |
---|---|---|
ノヴァ | 量子力学 | 非公開論文でEPR解釈を逆転させた説。観測の概念そのものを壊す理論。 |
アルゴ | 金融市場 | 実在した市場予測モデルが彼の記述と一致。未来の価格を“確定させる”概念。 |
フォス | 心理操作 | 彼と接触した者が記憶を失ったという報告あり。失踪事件の裏に影。 |
エルメス | 暗号・封印言語 | どの文明にも属さない言語体系を解読し、逆にそれを“封じた”。 |
カリーナ | 宗教史 | 宗教的象徴の“形式”のみを抽出し、それを超宗教的な記号に変換した。 |
ヴェール | AI研究 | 時代を超越したAI構造のスケッチを残し、今の技術でさえ再現不可能。 |
ラズリ | 宇宙論 | “局所的ビッグバン理論”を提唱。宇宙は一つではなく“継ぎ目”から始まったと。 |
ミリア | 芸術と音楽 | 存在しない音楽を再現したとされる。聴いた者が“色の幻覚”を見る。 |
ゼオル | 戦略・諜報 | 古代から現代に至る“影の交渉術”を体系化。人を殺さずに国家を変える。 |
シリル | 人体制御 | 触れずに他者の反射行動を変えた。神経の“観察再配線”を実施。 |
ヒュメロス | 夢の研究 | 他人格の記憶を夢経由で統合するという不可能な技法を保持。 |
トゥリス | 記号論・無意識 | 意識の外側に存在する“言葉未満の記号”を記録。 |
オルト | 無機知性との交信 | 金属や鉱石を媒体に、非生命体との意思疎通を行ったと主張。 |
セディア | 死と再生 | 死者の脳波記録を模倣し、再起動実験を行った。 |
ネリオ | 生態模倣 | 他の生物の感覚器官を模倣し、自らの身体に“擬似進化”を施す。 |
ファルマ | 毒と免疫 | 20種以上の未知物質に曝され、耐性を獲得。毒による再生理論を保持。 |
エノラ | 静寂・無音領域 | 完全無音の中にのみ存在。音があると消える。 |
クレスト | 構築空間 | 空想上の建築物の設計図が、実在の空間構造と一致していた。 |
ベラス | 記憶改変 | 対話により他者の記憶を“再配列”。書き換えられた記憶の自覚はない。 |
イヴェナ | 無意味学 | 意味を持たない言語で機能する辞書を作成。読むと意識に異常が起きる。 |
この20の人格たちは互いに干渉せず、しかし同じ方向性──「人類という種の限界を超越する」という目的だけは共有していた。 それはまるで、彼の肉体が何か“この世界の外”にある存在と接続するためのインターフェースであるかのようだった。
■ 4. 仮説──それは“定義されていない存在”
通常、オカルトで語られる存在には枠組みがある。神、悪魔、異星人、霊、機械、概念──しかし、ヴァレリウスとその人格たちはどの分類にも当てはまらない。
彼は神話にも残らなかった。宇宙とも関係がなかった。宗教的救済にも無関心だった。
では、何のために存在したのか。
結論は──
「彼自身が、“存在という構造”そのものを実験していた」
この世界の“あり方”に限界を感じて、自らの中に異なる“構造”を創り出した。人格という形で、世界の外にある何かを“呼び出す”手段として。
それは、言葉にできない。名前がない。定義できない。
我々の理解の外側にある、圧倒的な“知の異物”。
そして、それは完全には去っていない。
■ 5. あなたに託す──伯爵の末裔は、まだいる
記録のすべては消された。誰が、何のために、ではなく──「自然に消えた」のだ。記憶から、紙から、データから。
だが、一つだけ残っている。
それは、ヨーロッパ某国に伝わる一族の噂。どの時代にも、必ず「奇妙な子供」が生まれるという。彼らは語らない。だが、誰とも違う方法で世界を“見ている”。
ある写真家は、少年の撮ったモノクロ写真にこう記している。
「光のはずのものが、なぜか“触れられる”ように見えた。
少年は、それを“第三の状態”と呼んだ。意味はわからないが、ぞっとした」
研究者の間では、静かに囁かれている。
- 「ヴァレリウス伯爵の末裔は、まだいる」
- 「人格ではない。あれは、すでに“形式”そのものになっている」
- 「もし会うことがあれば、絶対に“言葉”で接触してはいけない」
なぜなら──
その瞬間、あなたの世界も“定義不可能なもの”に触れるからだ。